SGC-smokygitanescafe

あ、こんにちは。

「書く。」第2941話

GITANESを吸いながら書いていたころが懐かしい。

それとは無関係に・・・。

 

勤めている会社の一部(店)ではほかの多くのお店屋さんと同じく

SNSを使って情報発信するようになってきた。

宣伝は自分のテリトリーではあるがSNSの担当は自分ではないので、たまには口出しするものの基本的に放っておく。

昔のように毎週チラシやDMを出し続けるという時代はすでに過ぎ去った。

制作から納品まで時間もコストもかかる媒体ではもう戦えない時代だということを、日々痛切に感じている。

 

紙媒体のPRはそれこそ誰が目にするかわからないし、そもそも「会社」がやることなのだから文章表現などもかなり神経を使って制作する。単語の誤用などもそうだし、単語だけにとどまらず文章がおかしい・必ずしもそうではない・プライスが一桁違っている・掲載の電話番号が違う などなど、一通りの制作が終わった後も校正作業に神経を使う。

ネットの方は、はまればその情報は紙媒体よりも多くの人の目に届く。だから同じような緊張感をもって制作するものの修正はできる。ただしそれは誤字を訂正する程度のことで、不謹慎な情報をアップすることは当然できない。たとえそれが一部からは支持されるようなことでも、他方で非難を浴びるようなことは表現できない。

 

 

というような、まあいろいろある訳だ。ここSGCのように何を書いてもいい訳がない。

だから、紙媒体・ネットより楽に書けてブログより少しだけ畏まったことを書く媒体はないものかと考えた挙句、店発行のフリーペーパーを出すことにした。

会社が発行するものだが、内容は誰にも相談しない。一応いろいろ気は使うものの、基本的には好き勝手に書く。そしてごく少ない部数。

買い物の際のショッパーに勝手に忍ばせる。またはレジカウンター付近に置き「勝手に持ってってください」。

 

好き勝手にと言っても「ゾンビ同士は、実は結構うまくやっているのではないか」なんてことは扱わない。洋服関係の店なのでほぼすべてが洋服にかかわることである。

時代はSNSやネットに向かって不可逆的に進んでいくように見える。

そこを逆行してのフリーペーパーである。

まずは200枚だけ作ってみたが、面白いと思ってくれる人が一人でもいればと思っている。いやなかなか、その人はセンスがいいと言わざるを得ない。

 

肝心の、店のスタッフはそれを読んでどんな反応だったかというと、

反応などなかった。

ある意味、ことに「文章」などという部分においては文化果つるところだからなあ。

「読んだ。」第2940話

GITANESは読書の伴。

それとは無関係に・・・。

 

しばらく読書スペースがとんでもなく遅くなっていたが、少しペースが戻ってきたように感じる。

速ければえらいという訳では決してないけれど。

 

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雨のアンソロジー 雨音を聴きながら

雨に関するエッセイなどのアンソロジー。

中には「雨ほぼ関係ないやないか!」と思うものも混じっていたが、まさかここで須賀敦子の文章と再会するとは思っていなかった。やはりいい文章はいい。

そしてその余韻をどうしようかと思う間もなく、その次が中原中也登場。

この並びには静かに感激した。

 

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アシモフの科学エッセイ/人間への長い道のり

アイザックアシモフのエッセイ。買ってから実に35年放置していて、やっと読んだ。

読むにつれて面白さは倍増していく。読んでしまった今になると、この科学エッセイのシリーズを全部買っておけばよかったなと思う。でもその当時はそんなに本を買うほどのおカネもなかった。今ではもう手に入りにくい本になってしまった。

 

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アンソロジー せやかて、あの街は

大阪、京都、兵庫の街についてのエッセイアンソロジー。アンソロジーだから仕方ないが、まったく面白くないのも紛れ込んでいる。しかしそれが充分埋まるほど、いい文章が並んでいる。まえがきもよかった。しかし申し訳ないが、まえがきはない方がよかった気がする。それがどうしてなのかはわからない。

唐突に始まって唐突に終わることを個人的に期待してしまっているだけなのだと思う。

 

 

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今野敏/戦場 トランスフォース

この著者だから買った。

武器や格闘技の蘊蓄はたくさん。

そしてまったく面白くなかった。筋もない。

今野敏なのに。

 

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今野敏/東京湾臨海署安積班 天狼

同じ著者なのに、こっちは面白い。キャラクターの立ち方が好きなんだろう。

前出のを読んだ次の日にこれも読んで、そのギャップがなかなか激しい。

 

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アンソロジー  あの日のチョコレート

チョコレートの明治が協力した小説集。

完全にジャケ買いだった。しかし作家陣が江國香織、小川糸、角田光代、千早茜、凪良ゆうなのだから面白くならないはずがない。

文字も大きくて「読み切らなくては」というプレッシャーも感じない。いい。

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8月よりはペースが速い。そして書斎にはまだいくらでも読むべき本が待っている。

 

「しろがね色のニクイ奴。」第2939話

GITANESの煙は青い。

それとは無関係に・・・。

 

「お願いします」と差し出されたり、不在中のデスクに置かれたりする無駄な書類。

仕事上のことなのだが、こうやって渡される書類のうち、本当に有益なのはそのうちの10%もないだろう。ほとんどがムダ、コピー用紙の浪費に過ぎない。

そもそも、ワードなんかと使って作った文書をわざわざプリンタから出力して持ってくる訳で、それをもらったこっちは「有益だ」と判断したものだけスキャンしてデータで保存している。つまり、「そのままデータでくれよ」という話。

どうしてそういう書類が生まれてそしてそれを渡されるのかというと、

・いやその件は、俺は事前に聞いてないぞ  とのクレームにならないため。

・文書に目を通させて巻き添えにしたいから。

そのいずれかか、あるいは両方を目的としているのだろう。

 

たまに「そんなシンプルなことをこんなに罫線とかに凝って色もつけてエクセルで表にして、そのうえそれをプリントアウトして持ってくるのか・・・。」と脱力するような文書を「一応渡しておきます」と持ってくる人もいる。

一応持ってくる程度ならばそもそもそんなものは要らない。他人様の「一応」につきあってる時間などないのだ。そしてやっぱり「なんで紙に出力したのか」まったく理解できない。

 

で、タイトルなのだが、「しろがね色のニクイ奴」というのはホッチキスのこと。

あれ、要るか?

そもそも文書自体要らないのにご丁寧に2ページ3ページものの文書を、左肩をホッチキスで留めて「一応これを」とか「ご検討願います」なんて持ってくる。

 

要らない。ほとんど要らないものだ。

裏の白紙部分はメモとして重宝するから、そこだけでいい。

それなのにわざわざホッチキスで留められるとひと手間増えてしまう。

カッターなどでホッチキス針を起こして抜く。あるいはその部分をもう鋏で三角形に切り落とす。何度伝えてもわからない人の場合、当人の前で左上を手でちぎる。

これで数枚の「メモ用紙」ができる訳だ。

何ページにもわたる文書なんてはじめから要らないし、それを留めるホッチキスも要らない。そもそもその文書をA4一枚にまとめればいいだけの話。さらにそれをメールなどでもらえればいちばんいい。

複数枚になる文書など中を見るとひどいもんで、社内とは言えビジネス文書なのに三点リーダー、「それとは無関係に・・・。」の、点の部分のことだが、それが多用されているものまである。まとめれば一枚になるのに無茶苦茶散らかっている。

散らかった内容でまとめられなかったからホッチキスで物理的にまとめているだけのことだ。それを読めとか目を通せとか、了解しろとか何とか、なんでつき合わないといかんのか。

という思いがあふれると、つい指先で束の文書の左肩をちぎりたくなる今日この頃、

皆さまお元気でしょうか。

 

 

 

 

 

「休む、憩う。」第2938話

GITANESは休憩に吸うのも憚られる。

それとは無関係に・・・。

 

休憩時間というのは何のためにあるかというと、「休む、憩う」ためである。

それなのに、会社の休憩場所での休憩はみな「休んでない」。

どうしてかというと、「仕事のことで話しかけられる」からだ。

そりゃあ仕事場の休憩場所なのだから、それぐらいはあって当然だという意見もあるだろう。しかし休む・憩うの時間なのに。

 

そもそも職場の休憩場所で完全に休んでいられるのは「我が強い」か「社会性がない」かのどちらかで、稀に私のように両方を持ち合わせているという有害な人間もいる。

また、せっかくいざひるめしを食べようとしたら内線で呼び出されて、すぐに対応を求められる人も多い。これは小売店の営業の人間としては致し方ない部分もあるだろう。

でもなんとかできないのだろうかという思いもある。休憩中にうるさく内線電話のコールが鳴って、それで営業の人がせっかく温めた弁当を放置して、カップ麺3分間待機中にそれも放り出して売り場に戻るのが気の毒で何度か休憩室の内線電話の線を引っこ抜いたことがあるが、いつのまにかまた復旧していた。

中にはまったく急ぎではない用件を、早く伝えて手から離したいというだけの理由で内線をかけてくるものもいるようだ。大抵は先輩から後輩への内線だ。休憩室にわざわざかけてくるのだから休憩中ということはわかった上で、別に大至急でもない用件を電話で伝えようとする。数分後にはまた顔を合わせるのに。

私は休憩中に馬鹿話ならいくらでもつきあうのだが、仕事の話はきっぱり拒絶している。とくに多いのは相談事とか判断を仰がれることなのだが、「まあ、休憩しましょうよ。」の一言で終わらせる。それで別に不便はない。話しかけてきた相手も特に不便はないだろう。おそらくあらためて内線をかけて話をしたり社内ネットワークの「メッセージ」を使って報告・相談するのが億劫で、ちょうど休憩室で会ったのだから面と向かって伝えよう・ということなのだろう。

それでもお互いの休憩時間を削ってまでやるべきこと以外は、休んだ方がいい。

 

現在休憩時間には耳にイヤホン(ワイヤレス)を突っ込んでいるので、ほぼ全員が「話しかけるな」を察してくれている。

申し訳ない。そんなに話しかけられるのがイヤなら外部で休憩しろよ、

と思っていても口に出さないでいてくれて、ありがとう。

「BOOM!」第2937話

GITANES停止中なので、ヤニ落としは必要ない。

それとは無関係に・・・。

 

スケジュール帳に書かざるを得ない「嫌な予定」にハートマークを添えることを提唱している。それは何度もここに書いた。私の生活上でハートマークを入れるのは最近は「健康診断♥」と「歯医者♥」だけであることは、まあ幸いなのだろう。

ハートマークを添えることで、その予定がわずかばかり「気分上、マシ」になる・予定表を見るたびに憂鬱になるのが、ちょっとだけ緩和されるという趣旨なのだが、先週歯医者に行ってみたら「ハートマークを添えたところで、痛いのは緩和される訳ではない」と至極当たり前のことを再認識した。

 

歯科医「では被せものを外して中を見てみましょう」

とキュイーーーーーンと何やらの道具を歯にあてた瞬間に電気が走り、全身で反応した。

歯科医「ありゃ、やっぱり麻酔しましょうかね。」と次は麻酔の針をブスッと刺される。いや、最初から麻酔やってよね、と口に出すほどの勇気はない。

麻酔が効いたあとは何をされても痛くはないが、虫歯になった部分が発見された後、本格的に削り始めたときに「口中で違法改造したバイクが走り回っている」かのような音が左耳を直撃する。10年ほど前の耳のそばの疾患と手術のせいで、左耳はどうも体内の音が響きやすくなっているらしく、右耳は何ともないのに左耳は「バイクの音を全部拾う」状態になっていた。

とにかくうるさい。「どこで騒いでいるのだ?!」と探すまでもなく、自分の口中である。

「力を抜いて、ラクにしてくださいね」と何度も言われる。

いや、痛くなる可能性もあるのにラクになんかできないのに。

それでも、平気な様子を演じていたのにまた

「ラクにしてくださいね」と念を押された。

「ラクにしているつもりなんですけどね」と言うと、

ハンカチを握りすぎて爪が白いです。閉じているまぶたの下で眼球がせわしくなく動いています、と杉下右京か古畑任三郎ばりの推理力で見抜かれてしまった。

 

ハートマークの甲斐もなく、ガリゴリギリガリと削られ、なにものかをくっつけられ、

なにものかをそこにあてて電子音を鳴らされ、

「はい、ではまた。」と治療室から送り出された。

次の予定を相談して決め、おカネを払って逃げるように帰宅。

またハートマーク付きの予定が増えたという次第である。

「無題という題」第2936話

GITANESを吸うという悪夢を見た。

それとは無関係に・・・。

 

次々に降って来ては消える言葉を、なんとか捉まえて切ったり貼ったりして繋いでいくという、端的に言えばそれだけの仕事をずっと長い間続けている。

ということはクオリティというか、少なくとも手数だけは「記憶力の低下とともに減る」のだから、これは由々しき問題である。

何かアイデアをスマホのアプリなどを使って忘れないうちに記録しなければいけないのだが、四六時中スマホを携行している訳ではない。特に入浴中やトイレの中では無理な作業だ。そして往々にして、ちょうどその時間にいろいろ浮かぶことも事実である。

記録していかなければ、記憶にだけ留めておいてもダメなのは本当に顕著になってきた。頭の中のメモリはどんどん少なくなってくる。

物事が進むスピードはどんどん速くなってきて、そこについていくのも大変だ。

例えば、30年かそこら以前ならアイデアや骨組みを広告代理店にまず電話かFAXで伝える。それでようやくラフができあがってくるのが3週間ほど後だった。そしてそこから肉付けあるいは削除作業をやって、通称・写植屋さんに版下を作ってもらうのに数日かかり、やっと印刷会社に廻して5日ほどかかって、印刷物ができてくるという具合だった。

それが今や、広告代理店のかわりにAIを使ってラフを作るのだが、それがプロンプトを入力してから1分ほどでラフができる。それを自分でイラストレーターを使って修正するか外注し、中一日で印刷物はネット印刷会社から送られてくる。

40日ほどかかっていたプロセスが1週間弱で完了する。

ただし、もっとも厄介なプロンプト作成の手間はそれほどかわらない。人に対して伝達しようが、相手がAIに代わろうがその手間はそのままだし、アイデア蓄積もアイデア出しも必要不可欠なのには変わりはない。

 

このブログがその前身から数えるともう20数年続いていて、それが何かの役に立っているとすれば、間違いなく「アウトプットする習慣だけはついている」という点だろう。

それのおかげで仕事に纏わる日々の作業がとりあえず何とか形にはなっている と言えるだろう。

将来何が役に立つかわからないものだ。

 

テレビや新聞からのインプットはもう今の生活上ではなくなった。

これからのソースの主流はますますネットからになるのだろうか。

それはそれでかなりの違和感なのだが。

 

 

 

 

「ゾンビ強化」第2935話

GITANESとゾンビはまったく関係ないけど

まあ書くことも尽きているし。

それとは無関係に・・・。

 

以前ここに、

「ゾンビは標的をどうして食べつくさないのか?」

「ひょっとしてちょっと齧る程度がおいしいという、すごいグルメ派なのか」

などと書いた。食べ尽くさないのは「咬まれた人が同じようなゾンビになっている」

「食べ尽くすならゾンビは増えない」ことから明らかだが、どうしてあんなにゆっくり歩くのか、という部分も謎ではある。

数が少ない状態ならば、あれほど歩くのが遅いと逃げることが可能だから、とにかく危うい場面でだけはなんとかなりそうだ。もちろんもう、周りの人が全員ゾンビになってしまったら逃げられないだろうし、家族全員知人も全員そうなったのなら、いっそのことそっちに属するのも楽しいのかも知れない。

これ以上ゾンビが怖くなるのはどういう状況かというと、「ものすごく速く移動する」のが一位だろう。ゴキブリなみのスピードで歩かれたら本当に恐ろしい。

こりゃあもう防ぎようがない。

あとは「自動車やバイクの運転ができる」もそうだ。

共通しているのは「移動速度」である。

 

どうやって倒したらいいのかという問題もある。そもそもゾンビな人々は身体のどれぐらいを失ったら死ぬのか?

血みどろになっているけどもう血液は体内で循環していなさそうだし、身体に穴が空いているし欠けているし。しかし「これ以上欠けたらさすがに動けない」という線はあるはずだ。例えば身体の40%を失ったら活動ができない、とか。

首が飛んだら一応死ぬだろう。そもそも首がなかったら咬まれないのだから、気持ち悪いことを除けば大した問題ではない(いや大した問題なのだが、同化させられるよりはいくらかマシ)。

脚と腕を狙って、ショットガンとか刀でそこを狙えば、たとえまだ生きているとしても(死んでいるのか生きているのか知らんが)動けないのだから脅威はかなり減る。

どうやったら死ぬかわからない以上、無力化させるしかないのだから、いろいろ考えずに首か、手と足を吹っ飛ばすのが得策だろう。

 

ゾンビ同士はあまりケンカしていないように見受けられる。これはどういう訳か?

これは二択しかない。

・ゾンビは餌としての人間しか興味がないから同じ境遇のゾンビにはまったく興味がない

・実は案外社会的なので、アレでお互い結構うまくやっている。

後者の方が世界は広がるのだが、まあ前者だろう。

 

というか、そもそも何の話なのだ?